私のひとりごと
私の独り言
一年の始まりが寒いこの日本では、この一年をどう迎えていくかどう乗り越えていくかという意気込みを奮い立たせてくれます。昨年の痛ましい東日本大震災、福島原発事故から多くのことを学びました。岩の上にあるといわれるこの日本に生きる私たちに「生きる」ということ、そして「繋がり」というものを考えさせられたのではないでしょうか。生きている限り生きることの不安は果てしなく続きます。しかし、今を生きることに精一杯力を注ぐことが、何よりも生きていることを実感できるものだと思うのです。今と真剣に向き合ってみる。必ずそこには命が宿るはず。私たちはみな頂いた命です。そのことに感謝して謙虚にいきたいものです。
私の独り言
一年で一番冷たくて寒い季節となり、また一年で最後の月となった。日々の生活に無駄な過ごし方をしていないだろうか。昨今、訃報を耳にしたり、また病魔と戦いながらもそれを克服して今を生きいる方のお話を聴く機会が増えたりと考えさせられる日々であった。1日も無駄にしない生き方をするには、やはり健康を維持することからスタートであろう。病気になると体力はもちろん気力や時間までもが奪われてしまい、決して意義のある人生を送ることができないことは誰もが予測できる。促進的な生き方ができたならば、何かを生み出す力が生まれる。それはけっして自分のためだけではなく、世のため人のための力となってつながっていくと思うのである。自分の生き方をしっかり見定めて揺らぐことのない促進的かつ健康的な生き方をしたい。そして、生きているこの瞬間を味わっていきたいものだ。
意義ある人生
ここ最近、喪中のハガキが届く季節となった。以前同じ職場であった人が亡くなったと風の頼りに聞いていたが、届いたハガキにその名を見てふと生きていた頃の懐かしい日々に思いを馳せた。そして、お陰様で今日も命を頂いて生かしてもらっている自分は今精一杯生きているかと自問自答してみた。自分なりに悔いのない人生を歩んできていると自負している。そして、今も一瞬一瞬を大切に生きたいと思いながら健康に気をつけるようになった。無駄にしない生き方は健康を維持することからスタートである。病気になると体力はもちろん気力や時間までもが奪われてしまい、決して意義のある人生を送ることができないからである。私は直観を大切にしたいと思っている。促進的な生き方は何かを生み出す力となるからだ。それはけっして自分のためだけではなく、世のため人のためになることだからである。私は自分の「今の思い」を大切に精一杯自分のできるところから始め最善を尽くしていきたい。
愛は許すことから
人全ての赤ちゃんは別け隔てなくみんな望まれて生まれてくる大切な人。そして、それぞれの人生の道にわかれていく。辛い道のりを一生懸命歩まねばならないと思う時もあろう。どんな道であれ、感謝の心と希望を持つことはとても大切なことだと人生を振り返り痛感する。すべての人に生まれた時の純真無垢な心を持っている。マザー・テレサの愛の言葉を思い出した。「貧困を作るのは神ではなく私たち人間です。わたしたちが分かちあわないからです。まず知りあうこと 知り合えば お互いに愛しあうようにあるでしょう。お互いに愛しあえば支えあうようになるでしょう。もし本当に愛したいと願うなら許すことを知らなければなりません。」心を穏やかに今日1日が過ごせることを思う日々である。
伝える楽しさ、伝わる歓び
人との関わりの中で、思いを100%伝えることは難しい。伝えたとしても、あれもこれも伝えたかったなぁと思いはふつふつと沸き上がってくるものである。「このことをいうと恥をかくのではないか」「こんなこと言っても聞いてくれないのではないか」自分を防御することを考えて思いが素直にでにくい。どう言ったらいいのかと考えて言うと違った形で自分が相手に届いてしまう。素直に言葉を端折るのではなく素直にそのまま出してみると伝わる楽しさが味わえる。そして、伝わる歓びもまた味わえる。関わるとはこんなことなのかぁと思うことがあった。
成長したい欲求
人間は心の欲求を満たしながら生きることは大事だと思う。
神学者ハルムが心には、「伝えたい」「聴き手を求める」「理解して欲しい」「成長したい」欲求があるという。まさに人に話したくなるとき聞いてくれる人を求める。それも自分の話を理解してくれることを望むし、その意味として成長したいという思いがある。カウンセリングにおいでの方々はまさにこの欲求を求めているし満たしたい思いである。このような関係が日常生活、会話の中で満たされたならば素晴らしいことだと思う。楽しい、嬉しいは心を豊かにするが、人間関係というものはなかなかそうもいかないのである。悲しい、苦しい、辛い、悔しい・・など諸々の感情とも向き合いながら関係性を続けていかなければならないのが世である。しかし、成長したいということは自分を変えることからスタートである。変化は良い方向に向かうとは限らないが、自分を変えたい、成長したいという心を信じて変える勇気を持ちたいと思う。
「話す」こと
「あぁ、あんなこと言わなければよかった」「言うつもりじゃなかったのに」
なんて経験誰しもあると思う。私たちは自由に考え、自由に話をしているつもりでも、そこにあるのは刺激による反射だけである。言葉の失敗はこの反射に対してコントロールできない自分にある。今自分はどんな心でいるのか?どんな状態なのか? 自分の五感を感じること、そして、落ち着いて穏やかに相手に余計な苦しみや刺激を与えないよう配慮す知覚的話し方をしたいものである。
東日本大震災
今回の震災で、東日本は一瞬にしてすべてが変わってしまった。家や財産、家族などなにもかもなくされた被災者の方々を思うと胸が痛くなる。そして、人間の儚さに無力感さえ覚える。とかく日々の生活に追われていると忘れがちな当たり前のことがどんなにありがたいことなのかとこの震災は気づかしてくれた。どんなに足掻いてもなるようにしかならないということ、言い換えればなるようになっていくのだということである。それなのに思うようにならないと腹をたてたり、悔やんだり、嫉んだり、恨んだり・・・たくさんの命をいただいて、お陰様で、今を生きている。先の事は誰にもわからない。だからこそ感謝を忘れることなく「今というこの時」を大切に生きていこうと思う。
無念にも亡くなられた大勢の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
友人の死
先日、友人が亡くなったという連絡がはいった。もともと同じ仕事をした仲間で、彼女は家庭の事情で十数年前に退職をして、私もその後退職をしてから一段と仲がよくなった。そして、友に思い出話に花が咲き愚痴を言いあった友である。彼女の魅力はとにかくポジティブシンキングであった。自分が前向きになって新規事業の案が浮かんだとき、また逆にうまく進まなくて落ち込んだ時に、元気で明るい彼女に会いたくなるのである。そして、力が湧いてくるのである。そんな彼女が病気と向き合い死と向き合いながらも、「死ぬ気にならないとダイエットできないもんだねぇ」と笑いながら語った彼女が思い出される。人は辛いときに誰に助けを求めるだろうか。かつて私が彼女を求めたように、元気で朗らかな人を求めるのではないだろうか。彼女のように私がまずそんな自分でいたいと誓うものである。ありがとう。心から冥福をお祈りします。
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
こころ
「心理療法とは物質的に豊かな国にしか存在していない」まさにそうだなぁと感心した。ものが豊かになると心のテーマがやってくる。いろいろな合理的なことを考えるようになると幸福になったかのように思ってしまう。日本の国は近代化に成功した。そして、不安な時代から現代は不満の時代といわれる。
人それぞれに「こころ」があり、個々それぞれがそれぞれの人生を生きている。その人生途上に悩みがもたらされ、人がその悩みを抱えたということは決定的運命であろう。悩んでいるその時が人生を変えていく力をもつのではないか。生きている限りあらゆる可能性をもたらしてくれるはず。
春爛漫
桜の花が咲き乱れ春爛漫となった。私は桜の花が大好きである。人それぞれにこの桜の季節に思いを馳せる人も多いのではないだろうか。17歳の春、私は北国を後にこの南国に移り住んだ。そんな私は心失せて毎日過ごしていた。しかし、北国では5月の連休が丁度見頃になる桜の花が3月の下旬から見ることができたのである。
そんな桜が私に心を和ませてくれたのである。そして、この桜の花のように、咲いて和ませてくれるこの一瞬を大切に感じていこうと思ったものである。
今、人様と出会わせていただくご縁をとてもありがたく大切に感謝しながら一瞬一瞬を生かしてもらっている。そんなことを今年咲く桜の花を見てまた振り返る自分である。春爛漫常に今を行きていこう。
ごきげんよう
私には大好きな恩師がいる。その方はいつも別れ際に「ごきげんよう」と言葉がかえってくる。その何とも言えない優しい声と思いが、私を包み込んでくれるのだ。「ご機嫌よくお暮らしくださいね」と相手を思いやる心がこの言葉に含まれているのであろう。ひとはとかく機嫌に左右される。不機嫌な思いでいると、表情も態度も快活さを失い、人も近寄らせない雰囲気をつくってしまう。そして、この言葉を思い出した時にふと我にかえって反省するのだ。自分自身が機嫌に左右されてはいないかと・・・。気分に左右されことなく安定した気分で、生かされている日々をおくっていきたいとふと思うこの頃である。
心と体
先日友人が手術を受けたことを聞きお見舞いに行って来た。常日頃から、お互いの目標を伝え合い励まし合い共に希望を抱いてプラス思考で挫けず、何事もネガティブに捉えるのではなく全てを糧として歩んできた同志でもある。そんな友がとんでもない病にかかったと聞いて、いかがなものかと聞いてみたのである。
本人曰く「確かにだるいだるいと思ってはいたが、頑張れるまだ頑張れる」と気力で乗り切ってきたという。
体は必ずサインを出してくれるのだということを自覚し今は体に聞いてから動くようにしているというのである。確かに、体はサインを出してくれる。そのサインを大切に自分の体と仲良くしていかなければならない。
無理をせず、いつも頑張ってくれる体に感謝して自分を大切に生き生きしたいと思う。
ことばの持つ力
近年、インターネットによるブログサイトやメールでのコミュニケーションが日常化している。勿論世界どの国にいてもPCでの会議やビジネスは可能になり、世界の壁は低くなりグローバル化が進んだ。各国のことばは違ってもつながり地球がひとつの国になったようなそんな感覚になる。私もメールを使うひとりであるが、普段、カウンセリングではクライエントの心のことばを聴くことに全てを注いでいる。顔の表情、ことばのトーン、しぐさなど全てがその人から発信されていることばとして受け止めている。しかし、メールでは相手が見えない。文字だけで相手を知ることには限界がある。文字が表す一つのことばは、心のありようで受け取る側の思いはそれぞれ違ってくる。しかし、送った側には知るよしもない訳である。ことばは「言の葉」常にお互いの思いがそのことばの奥にある。そのことを確認していかなければ、コミュニケーションができたとはいえないのである。一つの「ことば」文章、文字の力は計り知れない。
相手を思いやり受け入れていることを伝えながら、良好な関係を築いていきたいし、いって欲しいと切に思う最近の私である。
新年を迎えて
2009年を迎えて、人間が作り上げてきたこの社会の様々な出来事を思い返すと、生きていくことへの希望を見出すことが難しくなっている時代になってきたなぁと思う。しかし、そうした”今”に失望していても仕方がない。我々人間も大きなところから覗いてみれば地球の中で生きる生物のひとつに他ならない。そう思うと”今”というこの一瞬一瞬を精一杯生きることに力を注ぎたいと思うのである。過去に反省し未来に希望を託して今できることをやっていこうと奮起するのである。これからの時代がどうなるかはわからないし、思ってみてもひとりの力でどうなるか、またどうすることもできない。ただ、自分は、自分にとって前に進んでいける方向だけは見失わず、やれることをただやるだけである。そういう心だけは豊かでいたいと思う。
今年もどんな出合いがあるのかなぁ・・楽しみである。

